「私の昭和史(第3部)―昭和から平成へ― 夢見る頃を過ぎても」は昭和ロマン館館長・根本圭助さんの交友録を中心に、昭和から平成という時代を振り返ります。

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夢見る頃を過ぎても(17)

ウルトラマン ダンディー きくち英一さん

根本 圭助

昭和10年2月、東京・南千住に生まれる。第二瑞光国民学校4年生の時罹災。千葉県柏町に移る。小松崎茂に師事。主な仕事は出版物、及び特にTVキャラクターのマーチャンダイジングのイラストで幅広く活躍する。現在松戸市在住。小松崎茂作品を中心に昭和の雑誌文化を支えた挿し絵画家たちの絵を展示する「昭和ロマン館」館長。

きくち英一著「〜帰ってきたウルトラマンを演った男〜ウルトラマンダンディー」の写真▲きくち英一著「〜帰ってきたウルトラマンを演った男〜ウルトラマンダンディー」(c)円谷プロ

怪獣が次から次へと登場する「ウルトラQ」が、はじめてTBSから放映されたのは、昭和41年1月2日のことだった。

その頃のTBSの子供番組は昭和40年8月末から始まったアニメの「オバケのQ太郎」が大ヒット中で、前年の1月から始まっていた「スーパージェッター」や同じく前年5月から放映を開始した「宇宙少年ソラン」等が根強い人気を保っていた。

TBS系の著作権を管理していた日本音楽出版(株)―通称「日音」のNさんと番組編成部のOさんに内々で呼ばれた私は、TBSの試写室で、初めて「ウルトラQ」を見せられた。当時私は長い間の義理で断り切れずに小出信宏社という小さな紙製玩具メーカーの企画室長という立場と、本業のイラストレーターとの二足の草鞋(わらじ)を履いていて、数多く色々な業者さんと交流を持っていたので、業界に幅広く「ウルトラQ」を宣伝してほしいという私への依頼のための試写だった。

その時点では、TBS側でも異色の「怪獣もの」に対して賛否両論があったようで、私自身も業者の皆さんにどう説明したら良いか大いに頭を悩ませた。商品化権では、原則として一業種一社なので、日音側では苦肉の策として「スーパージェッター」の契約社と「宇宙少年ソラン」の契約社を分けて、各々「ジェッター会」、「ソラン会」という二つの契約業者の親睦会が出来ていた。詳述は長くなるので省略するが、私はその二つの会の幹事も務めていた。私は「ウルトラQ」の試写の感想を業者間に連絡しまくった。正直言って推せんする私自身もあまり自信はなかったし、当初業者の中でも商品化をためらう社もかなりあったが、人気というものは不思議なもので、あっという間に番組は人気を呼び、怪獣ブームは社会現象にまでなるようになった。「ウルトラQ」の後を受けて、昭和41年7月10日からはいよいよ「ウルトラマン」が登場。爆発的な人気番組となった。

その後番組の流れとしては「キャプテンウルトラ」というちょっと変わったキャラクターが続き、昭和42年10月1日から「ウルトラセブン」が登場し、これまた大人気となり、「怪奇大作戦」「妖術武芸帳」を経て、昭和46年4月2日から、「帰ってきたウルトラマン」(47年3月まで)「ウルトラマンA(エース)」「ウルトラマンタロウ」「ウルトラマンレオ」…と続き、ウルトラシリーズの流れは長い人気を保つ番組となった。そして今月登場いただくのは「帰ってきたウルトラマン」のスーツアクターとして活躍されたきくち英一さんである。

 

「帰ってきた」のスーツアクター

万創のとびだすえほん「帰ってきたウルトラマン」表紙の写真▲万創のとびだすえほん「帰ってきたウルトラマン」表紙 伊藤展安・画 (c)円谷プロ

きくち英一(本名・菊池英一)さんは、昭和17年世田谷区経堂で生まれた。

昭和39年3月、日本大学芸術学部演劇科を卒業後、アクション俳優を目指し、J F A(ジェファ/Japan・Fighting・Acters)を設立し、東映鰍経てタレント生活に入った。アクションスターとして、時には殺陣師(たてし)として、また、ガンプレイを特技として、渋い傍役スターとして多くの作品に出演している。洋画でも「007は二度死ぬ」や「SHOGUN」等にも出演しているし、邦画では「新網走番外地」「トラック野郎」「子連れ狼」「戦国自衛隊」「マルサの女」…等々数えきれない程の映画に出演している。

テレビでは前述の「帰ってきたウルトラマン」や「電人ザボーガー」の中野刑事役もファンの胸を熱くした。「快傑ライオン丸」にも出演しているが、私はこの個性的俳優さんをまったく知らなかった。

Pプロ社長の鷺巣富雄さん、もうひとつの名前の漫画家うしおそうじさん。私は随分長く親しいおつき合いだったが、俳優として現場で活躍していたきくちさんの存在は知らなかった。

きくちさんは、テレビの「暴れん坊将軍」や「鬼平犯科帳」他沢山の作品にも出演しているので、読者の皆さんも、この渋いダンディなきくちさんをきっと御覧になっていると思う。近頃は「ウルトラシリーズ」の熱心なファンや研究家も多く現れて、本紙でもご紹介した初代ウルトラマンとして活躍した古谷敏さんや、今回のきくち英一さん。女優でもアンヌ隊員役のひし美ゆり子さんやフジ・アキコ隊員役の桜井浩子さんなどを含め往時の少年達にとっては永遠のヒーローであり又ヒロインであり、今もって当時を思い出して胸を熱くしている大人の数も多い。

 

よみがえる怪獣ブームの熱気

テレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」に出演中のきくちさん(右)の写真▲テレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」に出演中のきくちさん(右)

私は「ウルトラマン」シリーズでも、Pプロの「宇宙猿人ゴリ(スペクトルマン)」「快傑ライオン丸」、又「電人ザボーガー」も当時夢中で描きまくった。今から思うとまったく夢の中の出来事としか思えない。桜井浩子さんとは今も親しくしているが、初代「ウルトラマン」の古谷敏さんや此の度のきくち英一さんからお話を伺うと、各々の波欄万丈の人生からは、激動の昭和の風が伝わってくる。

テレビキャラクターの、グッズ用イラストレーターという特殊な世界にのめりこんだ私は、アニメ作品であれ、特撮作品であれ、そのブームの中でただ描きまくり、ブームの波に押し流されて来た。

「ひみつのアッコちゃん」「魔法のマコちゃん」「ウルトラマン」「仮面ライダー」他テレビで放映された作品のすべては皆お世話になった親しい存在なのである。

 

コロッケさん(左)ときくちさんの写真▲コロッケさん(左)ときくちさん

かって「帰ってきたウルトラマン」でスーツアクターとして活躍したきくち英一さんが今も元気で様々な舞台を彩っているのを見たり聞いたりすると、たまらなく嬉しく、私も元気をもらったような有り難く温かい気持ちになる。きくちさんは若い頃から落語好きだったということもあり、呑み仲間の春風亭柳好師匠の計らいで、三ヶ月に一回の割で「ひかる亭源氏」の名で高座にも上っているという。現在は、「東京ビジュアルアーツ」で殺陣も教え、未来のスター養成にも情熱を燃やしている。まことに多才なお人である。

きくちさんとの話や記録を見ていると、「えっあの作品にも出ていたんですか?」という驚きにいっぱい出会う。

私より7歳年下だから、ちょうど70歳ぐらいのはずだが、スタントマンとしても活躍したきくちさんはまだまだ若い。

沢山の思い出を作ってくれたお礼と、今後の円熟した演技と御健康を特にお祈りする次第である。

私も「ウルトラマン」全盛時の熱気を久々に思い出し、書きながら楽しかった。

ウルトラマンダンディーきくち英一さんらしく最後はこの気合いで終わらせていただくことにする。

では、シュワッチ!

 

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