夢見る頃を過ぎても(42)
あの人、この人、みんな、みんな昭和っ子!
根本 圭助
昭和10年2月、東京・南千住に生まれる。第二瑞光国民学校4年生の時罹災。千葉県柏町に移る。小松崎茂に師事。主な仕事は出版物、及び特にTVキャラクターのマーチャンダイジングのイラストで幅広く活躍する。現在松戸市在住。小松崎茂作品を中心に昭和の雑誌文化を支えた挿し絵画家たちの絵を展示する「昭和ロマン館」館長。現在は、「昭和の杜博物館」理事。
いろいろな人に出逢った。支えられた。励まされた。助けられた。取り返しのつかない不義理もした。
今更ながら生きるということは恥を重ねることだと実感させられる。
多くの人とも別れた。彼岸へお送りした人も数えきれない。同時代を生きて、当時の思い出を夢中で話し合った友の数もすっかり減ってしまった。
おぼつかない足どりで、それでも彩とりどりの夢のあとをたどりながら、気がつくと、80歳という歳が目の前に迫っている。
様々な思い出やら、人との出逢いなどを書き連ねてきた月に1回の「松戸よみうり」の連載も気がつけばもう10年の長きに及んでいる。
実はこのシリーズが思いがけなく一冊の単行本にまとめられることが急に決まった。
編集部の意向で、連載はまだ続けることになったが、これはまさに「恥の上塗り」になりそうで心配している。
向島寺島町生まれの漫画家故滝田ゆうさんは、「私が興味を持つのは過去ばかりで、電車に乗っても、進行方向には興味がなくて、最後尾に乗って、どんどん後に遠ざかるレールを見るのが好きだった」と何かに書いていたが、滝田さんは、かっての玉の井周辺や全国のさびれた遊郭の跡をめぐったりして作品を遺したが、私はそれ程の過去への執着は持たないにしても、傘寿を迎える歳ともなると、一人暮らしの冬の夜長、やはり過ぎし日に思いを馳せ、半ば夢の中で過ごしている。
前にカラオケのことを書いたが、「全国なつメロ愛好会」、「敏の会」(上原敏)、「岡晴夫を偲ぶ会」、「ラジオ歌謡の会」…近頃では「美智也会」(三橋美智也)、「全国春日八郎を偲ぶ会」などカラオケも活況を呈している。私はもちろんどの会にも属していないが、今年は「春日八郎生誕90年」ということで、10月11日に古賀政男音楽博物館の中の「けやきホール」で盛大に会が開かれた。
この日私は病院の定期検査もあり、出かけられなかったが、出演者の中に知人も数人いて、当日は生のバンドも入って相当賑やかだったらしい。65人もの出演者があり、その人達がみんな春日八郎だけ歌うというのだから大変なものである。知らない歌も多い。
プログラムを眺めると、東京近辺の人が大半だが、中には静岡市や会津若松市、いわき市、群馬県太田市、大阪府四條畷市、喜多方市からと馳せ参じて来た人もいる。その熱心さに驚いてしまったが、この会をまとめている全国春日八郎を偲ぶ会の会長さんが(30年近く前の話だが)旧知の人だったことが判り、びっくり仰天。電話で話し合って少なからず興奮した。以前は柏にお住まいで、自宅へもお伺いしたこともあったが、今は松戸市内の馬橋にお住まいで近々にお会いすることになっている。
11月24日には銀座でNMH(日劇ミュージックホール)のかっての踊り子さん達の同窓会があった。小浜奈々子さんをはじめ、殿岡ハツエ、松永てるほ、岬マコといったなつかしいメンバーが十数人集まった。かっては舞台で妍(けん)を競い合った同士である。私はゲストで招かれたが、大変ショックを受けたのは、帰り際、エレベーター前の立ち話で、何と出席者の中で、私が一番年長だということが判り、これには驚いた。がっくりして手を振って別れたが、誰かが、私の背中に向かって、「今度不良しましょうネ」と叫んでくれて、そのジョークに感心し、何故か胸がじーんとなった。皆思い出をかみしめながら、懸命に生きてきた様子が偲ばれ、楽しい会だった。
美術家、直木賞作家として知られた赤瀬川原平さんが亡くなり、新聞でも大きく取り上げられた。何年ぐらい前になるか、師の小松崎先生を訪ねて柏にお見えになったことがあった。
私が駅までお迎えに出たが、その頃読売本紙に連載していた連載小説「ゼロ発進」にほんのちょっとだが、私が実名で取りあげられ、面映ゆい思いをしたことがあった。なつかしい思い出である。その後私は出版した文庫本の帯に推薦文を書いていただいたこともあった。
そして今度は高倉健さんである。
前述のミュージックホールの集まりで、殿岡ハツエさんが、健さんに声をかけられて、映画で共演したという話をなつかしく聞かせてくれた。まだ初期の頃の話らしかった。
ジャンルによらず、その世界を代表する人が亡くなると、「昭和がまた遠くなった」というような言葉をよく耳にするが、たしかに「昭和」という時代もますます遠くに去りつつある。ところで、まったく思いがけなく、安藤鶴夫先生のお嬢さん、はる子さんから、人形劇映画「明治はるあき」のDVDが送られてきた。
昭和43年の作品で監督は五所平之助。出演は竹田人形座の糸あやつり人形である。
五所平之助66歳の時の作品で、人形を使っての映画は、初めての試みだった。
私はこの映画を試写会という名目で、渋谷の東横ホールで観ている。
人形は生き生きと明治という時代の叙情をうたいあげている。この作品はたしかその年の芸術祭奨励賞を受けているはずである。
作品の中で、安藤鶴夫作詞の「明治 歌(しょうか)」という歌が流れる。作曲は山下毅雄。歌っているのはフランク永井である。
「年々に月は変わらず
年々に雪はまた降りぬ
年々に花は咲けども
花を愛(め)で月を賞し
雪みる人は同じからず(中略)
花咲けば明治は遠く
月見れば明治は遠く
雪降れば明治は遠く
明治は遠くなりにけり
―と結んでいる。
安藤先生の明治を恋うる心根が惻惻(そくそく)と胸に伝わってくる。
実は、はる子さんから「明治はるあき」のDVDに追いかけて、フランク永井さんの歌と、フランクさんが愛していたという落語の小咄が入ったCDも送られてきた。もう感謝、感謝である。ところでフランク永井さんは、もう七回忌だそうで、これもまた昭和は遠くなりにけりである。
一週間程前に、突然友人が車で来てドライブに誘われた。あてもなかったので、銚子から九十九里辺りをまわって帰宅した。
久々に冬の海を眺めてきた。熱烈なファンでありながら、下戸のため鈴木真砂女さんの店、銀座の「卯波」には、とうとう足を運べなかった。
遠き遠き恋が見ゆるよ冬の波(真砂女)
苦しいこともいっぱいあったが、やっぱり昭和が恋しい。切実に恋しい。