「私の昭和史(第3部)―昭和から平成へ― 夢見る頃を過ぎても」は昭和ロマン館館長・根本圭助さんの交友録を中心に、昭和から平成という時代を振り返ります。

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夢見る頃を過ぎても(52)

八木天水画伯の桜の絵で思い出す春の記憶

根本 圭助

昭和10年2月、東京・南千住に生まれる。第二瑞光国民学校4年生の時罹災。千葉県柏町に移る。小松崎茂に師事。主な仕事は出版物、及び特にTVキャラクターのマーチャンダイジングのイラストで幅広く活躍する。現在松戸市在住。小松崎茂作品を中心に昭和の雑誌文化を支えた挿し絵画家たちの絵を展示する「昭和ロマン館」館長。現在は、「昭和の杜博物館」理事。

八木天水「奈良 吉野山」の絵▲八木天水「奈良 吉野山」

この稿を書いている今は、まさに「春は名のみの風の寒さや…」の唱歌「早春賦」の世界そのものである。

3月には10日の東京大空襲の劫火の夜、11日は東日本大震災の恐怖の日と心がえぐられるような苦しい思い出の日が続いている。

たしかオウム真理教の「地下鉄サリン事件」も3月だったように記憶している。

天災、空襲、事件…と各々直接被害を受けた方々にとっては、3月を苦しみと悲しみのつらい月として迎えていることと思う。

心に深く刻みこまれた悲しみは、なかなかに癒されるものではない。その人の生ある限り苦しみは続くと思う。

しかし、やがて桜前線北上のニュースも聞こえて来るだろうし、この新聞が発行される頃にはこの辺りも桜、桜、桜の世界が訪れていることと思う。地球全体の異常気象が騒がれているが、やがて今年も春はきっときっと巡ってくると信じている。

 

桜に憑かれ、桜一筋に

桜といえば私にとって真先に思い出されるのは桜に憑かれ、桜一筋に作品を発表している八木天水画伯のことである。

八木さんとは、10年以上前に私が柏市で個展を開いていた折、会場で識り合って、親しくなった。いつも静かで折目正しいジェントルマンで心から尊敬している。本来は先生と呼ぶべきお方だが親しみをこめてここでは八木さんと呼ばせていただく。

昨年6月の私の出版記念会にも御夫妻で出席してくださった。富士と桜花を描く八木さんのファンには外国の方も多く、近頃は全国的にファン層も拡がり、私も嬉しく思っている。先程も電話でお話ししたが、今は九州の博多で個展を開催中で、元気な声が返ってきた。全国に先がけて花咲おじさん(まだおじいさんではない)は意気軒昂(いきけんこう)である。今月の紙面は、尊敬する八木さんの描く桜で飾らせていただいた。

 

八木夫妻と筆者の写真▲八木夫妻と筆者(中)

八木さんの作品は筆で描いた絵ではない。「彩密和紙絵」と称して、多彩な和紙をちぎったり、切ったりしてそれを幾重にも貼って表現するもので、画面全体から独特な日本情緒が漂ってくる。勿論八木さんには多くの受賞歴もあるが、私は八木さんの人柄が大好きで、益々の御活躍を心からお祈りしている。
一寸話題が変わるが、本日大阪で絵手紙を教えている古い友人から便りをいただいた。

10年振りぐらいのことで、手際よい筆致でスイートピーの絵が描かれて居り、「逢いたいなァ」と一筆だけ書かれてあった。そういえばスイートピーの花言葉は、「旅立ち、門出」とあるから、まさに3月は巣立ちの季節で、又3月は卒業式の季節でもある。

私は創価学会の会員ではないが、理事長の長谷川重夫氏には日頃何かとお世話になっていて、一昨年夏には東京富士美術館で師の「小松崎茂展」を開いて下さったり、昨年は創価大学の卒業式に来賓の一人として招いてくださった。大勢の来賓にまじって壇上から立派な卒業式を拝見した。

いつも気にしているが、近頃の小、中学校での卒業式では定番だった「蛍の光」とか「仰げば尊し」の歌などはあまり歌われなくなったと耳にした。

「蛍の光」は皆様御存知の通り、もとはスコットランドの民謡で、古語の英詩「久しき昔」の旋律である。

日本の唱歌集では「蛍」という題で発表された。世界的には別れの曲として用いられ、港を出航する時には、各国ともこの旋律が奏せられる。私達の世代では、卒業生を送り出す歌として、何とも懐かしい旋律である。

かって、渋沢秀雄氏は、「この歌を聞くと、甘い悲しさというか、悲しい甘さというか、法悦のような感銘を受ける」と何かに書いていた。実はつい先日、久々にDVDでマーヴィン・ルロイ監督の「哀愁」を観た。

ロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーの主人公二人がキャンドル・クラブで踊る場面があるが、ラストダンスに流れる曲がこの旋律で、(もう何回観たことだろう)と思いつつも、この甘美な悲恋映画を見返して若かった昔を思い出して又、胸を熱くした。うろ覚えだが、朝鮮動乱を背景にした「鬼軍曹ザック」というアメリカ映画があった。

 

八木天水「白川舞妓」の絵▲八木天水「白川舞妓」

その映画の中で、大韓民国の国歌だと言って流れたのが、たしかこの曲だった。

はっきりした記憶ではないが、韓国であの戦争の当時、国歌として使われていたのを聞いて驚いたことがあったが、これは私の勘違いだったかもしれない。

京都、奈良、大阪の桜旅行

八木さんの話から又脱線してしまったが私にも桜に関して忘れられない思い出がある。もう何年ぐらい前のことだったろうか…。そう映画「タイタニック」が封切された頃だから、調べてみると、もう20年近い歳月が流れていて驚かされた。

その頃親しくしていたM子さんと連れ出って、京都、奈良、大阪と延べ10日間かけて、桜を満喫した年があった。

最後のコースの大阪で一日雨の日に遭い、その日は花見をあきらめて大阪駅近くの映画館でロードショウの「タイタニック」を観たのを書いているうちにふと思い出した。

京都からスタートし、桜の名所として知られる場所は事前に詳しく調べておいたのでゆっくり桜、桜の日を送った。京都だけで宿を変えて4泊した。奈良の吉野山の桜もちょうど見頃で、奈良にも3泊した。

吉野山で一日過した翌日私達は奈良の平城京跡に寄ることにした。ちょうど昼を少しまわった頃だったが見渡す限り何もない広い広い遺跡の中に復元された朱雀門がたった一つだけ建っていて、その場に立った同行のM子さんは、その場所がすっかり気に入ってしまい、太い柱に寄りかかったまま、いくら他へ移ろうと言っても、その場を動こうとはしなかった。その日私の予定では、レンタサイクルで大好きな秋篠寺の伎芸天に久々に会いに行くことにしていたが、何と夕刻まで何もない朱雀門で過ごしてしまった。

実は彼女は長く心の病いを患っていたので、そのための桜旅行だったが、彼女は頑としてその場を離れようとしなかった。

 

八木天水「春最中」の絵▲八木天水「春最中」

日が落ちて、花冷えの風を肌に感じはじめた頃やっと彼女は帰途についてくれたが、あの時彼女の眼は半日もの間何を見ていたのだろうか、そして彼女の心は何を感じていたのか、長い時間、私はなす術(すべ)もなく、じっと見守り続けただけだった。私達二人の桜旅行は、大阪の桜の宮の造幣局の桜の通り抜けで終わったが、後々になっても彼女は平城京跡の何もない朱雀門での半日を懐かしく話していた。そしてそれから数年後、彼女は病いのため、不幸な最期を迎え、一人淋しく彼岸に旅立った。

桜は元来陽気な花の筈だが、八木さんの桜の絵からも言い知れぬかなしい思いが伝わってくる絵もある。

年を重ねて、今ではあの春のような10日間ものハードスケジュール旅行は体力的に考えられない仕儀になってしまったが、京都で、ふと通りすがりに寄った名も知らぬ小さな寺に咲いていた一本の桜などがふと思い出されて、「あれはどの辺りだったろう。も一度行ってみたいなァ」と夢見ることがある。

 

去年の春 逢へりし君に 恋ひにてし

桜の花は 迎へけらしも

         若宮年魚麿

           「万葉集」

 

ふるさとと なりにし奈良の 都にも

色はかわらず 花は咲きにけり

         平城帝

           「古今和歌集」

 

はかなさを 外にもいはじ 桜ばな

さきては散らぬ あはれ世の中

         藤原実定

           「新古今和歌集」

 

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