「松戸市史 上巻」を大改訂

半世紀ぶり 全編書き下ろし

 「松戸市史 上巻」(原始・古代・中世)が、54年ぶりに大改訂された。旧「松戸市史 上巻」は、市制施行10周年記念事業の一環として企画されたもので、7年をかけて編集され、昭和36年(1961)に刊行された。市職員で郷土史家でもあった松下邦夫氏が中心となった市史編さん室が編集した。今回の大改訂は10年以上前から企画され、市史編さん委員会を中心に、20人を超える市内外の執筆者がかかわった。全編書き下ろしで、半世紀の発掘調査、研究の成果が凝縮されている。

54年ぶりに改訂された「松戸市史 上巻」の写真▲54年ぶりに改訂された「松戸市史 上巻」

松戸の「正史」大改訂

 郷土研究家の故・渡邉幸三郎先生は著書「昭和の松戸誌」の発行に際して「『松戸市史』が正史とするなら、私の本は稗史(はいし=民間の物語)です」と話されていた。

 その「正史」が半世紀ぶりに大改訂された。

 旧「松戸市史 上巻」は、市職員で郷土史家の松下邦夫氏が中心となって編集したもの。松下氏は市の仕事のほかにも「松戸の歴史案内」を発行し、一般市民にも分かりやすく、松戸の歴史を解説した。また、弊紙でも松戸の歴史を案内する連載コラムを執筆していた。他に、高城氏や市内の寺の研究をまとめた書物などがある。

 松戸の歴史を知ろうとすると、必ず松下邦夫の名前にたどり着く。記者が松戸の歴史についての記事を書くときも、最終的に頼りにするのは、「松戸市史」をはじめ、松下氏の著書である。松下氏の時代から時が流れているので、その研究について内容が古いと批判されることもあるが、後発の郷土史家と呼ばれる人たちも、多かれ少なかれ松下氏の研究を下敷きにしているはずである。松下氏自身も、後の研究により自分の研究が塗り替えられることを期待していたと思う。

 

松戸の代表的な縄文遺跡「幸田貝塚」の写真▲松戸の代表的な縄文遺跡「幸田貝塚」

約80%を占める縄文時代の遺跡

 松戸の遺跡というと、「関山式(せきやましき)」と称される土器群など出土品が国の重要文化財に指定されている幸田貝塚などの縄文遺跡や、巨大な城だった小金城跡などが代表的である。

 松戸は特に縄文遺跡が多いことで知られている。昭和35年(1960)に旧「松戸市史 上巻」の刊行に際して行われた調査では、遺跡の総数は79か所。そのうち縄文時代の遺跡は40で、約半数を占めた。平成20年時点では遺跡の総数は198か所。そのうち縄文時代の遺跡は153か所と、77%を占めている。
旧「松戸市史 上巻」が発行された昭和36年というのは、市内で宅地開発が盛んに行われるようになったころで、以降、松戸の風景は激変していった。開発に伴って遺跡の発見も相次いだ。しかし、それは書類としての記録には残るものの、遺跡を次々に破壊していくということでもあった。昭和36年の松戸市の人口は8万人あまり。現在は48万人を超えている。

 ともあれ、遺跡に関する膨大なデータが蓄積された。松戸市立博物館の大森隆志学芸員によると、そのデータを整理し執筆するのが大変な作業だった、という。

 旧「松戸市史 上巻」では、まだ遺跡に関するデータが十分ではなかったため、縄文のムラの変遷については、全国的な傾向に沿って書かれていたという。しかし、今回の改訂版では、市内の遺跡だけで縄文のムラの移り変わりを追うことができたという。

 

小金城跡の虎口門」の写真▲小金城跡の虎口門

小金城の発掘と「本土寺過去帳」

 小金城跡の発掘調査が行われたのは旧「松戸市史 上巻」の発行の翌年の昭和37年と39年。やはり、宅地開発による緊急発掘調査だった。遺跡の保存状態はよく、城跡全体を残せないことに惜しむ声もあったが、そのほとんどは宅地に変わった。現在は一部が公園として保存されている。発掘調査の報告書は45年にまとめられた。

 後に根木内城も発掘調査が行われ、その一部が公園として保存されている。

 平成2年度から7年度にかけての千葉県の調査で、市内には20か所もの城館が存在したことが報告されているが、その多くは消滅してしまっている。

 同館の中山文人学芸員によると、松下氏は古文書や古記録を中心に据えた分析を行い、小金城主高城氏の全体像を示した。多くの写真とともに高城氏に関わる古文書を網羅し、翻刻(くずし字の古文書などを楷書にして、一般の人にも読みやすくすること)している。この2つの仕事が、文献史料を研究の中心に据える歴史学での高城氏研究の基盤をつくった、という。

 東日本には中世から近世初期の文献資料が乏しいが、本土寺所蔵の「本土寺過去帳」は当時の様子を知るための一級の資料だという。この「本土寺過去帳」の研究もこの50年で進んだ。

 本土寺と関わりのある物故者を書き留めた帳簿で、室町から戦国時代を中心に、1万人もの人々の戒名や死去の年月、俗名、続柄や所属、地名、死亡理由など多彩な情報が記載されている。他の資料には見えない地名や合戦の記述などがあり、貴重だという。

 数種類の「過去帳」が伝わっているが、そのうちの天正本が「千葉縣史料 中世編 本土寺過去帳」として翻刻され、写真も全編収録された。また、同時期に我孫子市の市民の研究グループが「本土寺過去帳年表」と「本土寺過去帳地名総覧」を刊行。これらのテキストの登場により、関東各地の自治体史に「本土寺過去帳」が引用されるようになり、学術論文にも頻繁に言及されるようになったという。

 

990ページの大著

 同書は総ページ数990ページの大著。気候変動や植生など松戸の自然史から始まる。 歴史と地域の気候風土は切っても切れない関係にあると考えるのが、最近の研究の流れだという。

 続いて松戸の地域研究について概観している。その中では、昭和23年に湯浅喜代治氏が自宅敷地内に開設した下総史料館にも触れている。湯浅氏は中峠遺跡を発見。多くの縄文土器などを発掘した。同館は展示だけでなく市内遺跡見学会や講演会を開催。下総史料館だより「かみしき」を36年間にわたり発行した。昭和50年には千葉県から博物館相当施設の指定を受けている。そのコレクションは湯浅氏の死後、松戸市に寄贈された。

 その後、600ページにわたり、松戸の旧石器時代から中世(戦国時代)までが書かれている。残る約300ページは付編として市内を東西南北に分け、主要遺跡について解説されている。

 なお、「松戸市史」には、ほかに「中巻」(近世)、「下巻(一)」(明治)、「下巻(二)」(大正・昭和)があるが、改訂については未定だという。

 同書は税込3000円で、松戸市立博物館で販売している。問い合わせは、電話 384・8181同館まで。