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- カテゴリ: 第795号(2015年11月22日発行)
- 2015年11月22日(日曜)09:00に公開
- 作者: 戸田 照朗
江戸川サイクリングロードを走る
江戸川の堤防上に作られた江戸川サイクリングロード。上流から下流を見て左側(千葉県側)を左岸サイクリングロード、右側(埼玉県・東京都側)を右岸サイクリングロードと呼ぶ。左岸、右岸ともに海(江戸川放水路)から利根川との分流点(関宿)までは約60㎞ある。また、右岸からは旧江戸川に入ることができるが、江戸川水門から葛西臨海公園までは約9㎞ある。サイクリングロード上には海からの距離を示す看板がしょっちゅう出てくるので、走る時の目安になるだろう。ひとつの提案として市川から関宿まで左岸を走るコースを紹介してみたい。
市川市
スタートは市川のJR総武線の鉄橋を少し過ぎたところ。ここには美しい河津桜の並木があった。3月中旬が見ごろ。海からは12・25㎞の地点。関宿までは約48㎞だ。
JR総武線の鉄橋を前に、いったん河川敷の道路に下り、市川橋、京成線の鉄橋をくぐった後に再び上ってサイクリングロードに戻る。この先にもいくつかの橋が出てくるが、ほかに河川敷の反対側の土手を走る場合と信号のある横断歩道を渡る場合がある。
和洋女子大の下から里見公園下にかけては木陰の中、川沿いを走る。コース上、これほど川に接近している箇所はほかにはない。風が強い日など、川面が波打ち「海岸線」を走っているような錯覚を起こす。
里見公園は戦国時代に2度にわたり安房の里見氏と小田原の北条氏が戦った国府台城跡。花見の名所で、園内にはバラ園もある。また、北原白秋が創作をした離れ「紫烟草舎」の復元、「羅漢の井」という湧水、「明戸古墳石棺」(古墳時代)や「里見群亡の碑」、「夜泣き石」など里見氏にまつわる遺物もある。
松戸市
やがて海から15㎞地点で、道幅の広いサイクリングロードとなる。ここには、旧坂川の江戸川への注ぎ口がある。現在の坂川はこの先の柳原排水機場のところで江戸川に合流しているが、坂川開削の苦しい歴史を伝えるように旧坂川跡が残されている。
ここからは土木学会選奨土木遺産に指定されている栗山浄水場の配水塔の緑の丸い屋根も見える。
柳原排水機場の一角には松戸市指定文化財の柳原水閘が残され、公園のように整備されている。明治37(1904)年に技師・井上二郎の設計で造られた四連アーチ構造レンガ造りの美しい水閘で、土木学会選奨土木遺産ともなっている。
北総線の鉄橋を過ぎて少し走ると、矢切の渡しの乗り場がある。ここには「川の一里塚」や東屋もある。桜も数本植えられている。少年の銅像から土手の下を見ると、やきり観光案内所「野菊の蔵」が見える。
左手に河川敷のゴルフ場を見つつ国道6号線と常磐線を過ぎると、少し行って、今度は葛飾大橋と葛飾橋が見えてくる。橋の上は外環道の工事中である。
横断歩道で橋を過ぎると松戸市街。ここで、海から19㎞地点である。
角町のあたりまで来ると、「是より御料 松戸宿」の碑が土手下の道沿いに建っている。左手の河川敷には「ふれあい松戸川」こと流水保全水路の流れが見え隠れしている。この水路には古ヶ崎浄化施設で浄化された水が流れている。小山でその一部が市街地を流れる坂川に入り、坂川の水質を劇的に向上させた。
赤圦樋門を過ぎ、樋野口排水機場まで行くと、ここにも「川の一里塚」があり、復元された常夜燈や東屋、トイレもある。
旧三郷有料道路の陸橋を過ぎると、古ヶ崎浄化施設がある。ここにも「川の一里塚」があり、東屋、トイレ、桜並木がある。
海から22㎞地点あたりから道幅が広くなり、走りやすくなる。
右には流山街道。横六軒川の脇に生コンクリート工場の大きなプラントが見える。少し行くと「主水新田 川の一里塚」があり、ベンチと桜並木がある。土手の下には「まこも池」という釣堀がある。
やがて、松戸水門(坂川放水路)の大きな建物が見えてくる。川には島のような中洲がいくつも浮かび、ちょっと不思議な風景だ。
流山市
少し行くと、つくばエクスプレスの鉄橋が見えてくる。海から25㎞地点。ここらあたりで松戸市に別れを告げ、流山市に入る。解説も少しスピードアップ。
武蔵野線の鉄橋と流山橋を過ぎると流山市街に入る。海から27㎞地点だから、本当に松戸の市境からすぐだ。流山市街地には寺社が多く、一茶双樹記念館や近藤勇陣屋跡など見どころが多い。
また、コース上には「〇〇の渡し跡」という標柱がいくつも出てくる。それぞれに解説があり、新選組にまつわるものもいくつかある。流山で新政府軍に包囲された新選組は近藤勇が投降、土方歳三らが北にのがれ、再起できるチャンスを作った。近藤勇は「矢河原(やっから)の渡し」で対岸に送られ、板橋刑場で処刑された。3面の写真は「羽口(ばくち)の渡し跡」の標柱。ここに新政府軍が砲列をしいたという。近くに賭博場があったことから、この名前になったとか。標柱の向こうには田園と美しい斜面林が見える。
利根運河
海から34㎞地点あたりにある運河河口公園。ここから内陸には利根運河が利根川までつながっている。
明治21(1888)年7月14日、オランダ人技師・ムルデルの監督で起工。同23年2月25日に通水した。水運が栄え、両岸は商店などで賑わったというが、現在はその面影はない。全長8・5㎞の運河の両岸もサイクリングロードとなっている。東武野田線運河駅周辺は公園になっており、ムルデルの顕彰碑がある。また、当時の面影をわずかに残す割烹旅館も1軒ある。東京理科大のキャンパスがあり、同大の「理窓(りそう)公園」は谷津田の風景をよく残している。
野田市
海から39㎞地点。林の中に寺院、そしてその隣には竜宮城のようなキッコーマンの御用蔵(御用醤油醸造所。戦前に建てられた宮内庁に納める醤油の専用醸造所)があったのだが、現在はなくなっていた。老朽化のため、2011年に野田工場内(東武野田線野田市駅から徒歩3分)に移築された。工場入口で受付すれば、自由に見学できるという。
少し行くと野田橋。道を右に折れると野田市街。市内には桜で有名な清水公園や愛宕神社などがある。
海から44㎞地点を過ぎると、東武野田線の鉄橋がある。コース上出会う鉄橋の中で、この野田線の鉄橋が一番趣がある。
海から49㎞付近にあるグライダーの滑空場。運が良ければ飛行する姿も見られる。また、周囲には酪農家も多く、草をはむ牛や山羊を河川敷や土手で見かけることもある。
海から59㎞地点。前方には関宿城博物館が遠くに見えているが、土手の下には「関宿城跡」がある。長禄元(1457)年築城され、後に北条氏の配下に。豊臣秀吉の関東攻めの際に落城したが、江戸時代は松平家をはじめ数人の城主のもと明治まで続いたという。
海から59・5㎞地点で終点の関宿城博物館に着いた。取材当日は快晴で、かなり前から雪を冠した日光男体山や赤城山が前方に見え、徐々に大きくなっていた。また、江戸川の対岸には富士山もずっと見えていた。関宿城博物館の「天守」部分は展望台になっており、筑波山もくっきりと見えた。同博物館には関宿城関連の展示のほかに、治水に関するもの、水運に関する展示が多い。高瀬舟の大きな模型もあった。
サイクリングロードは今度は利根川堤防上に続いている。「海までは121㎞」とのこと。
関宿城博物館の向かいの中洲には橋が架かっており、「中の島公園」になっている。移築した昔の江戸川の橋などがある。また、関宿水閘門からは利根川から江戸川に水が注ぎこむ様が見られる。まさに、ここが江戸川の起点だ。
帰りはこの水門を渡って反対岸から松戸に帰るのもいい。
おことわり
「昭和から平成へ」は根本圭助氏の都合により、今号まで休載します。次号から再開の予定です。