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ユーミンの曲とともに変わっていった女性たち

ユーミンの罪 酒井 順子 著

ユーミンの罪の写真講談社現代新書 800円(税別)

 1973年発売の「ひこうき雲」から1991年発売の「DAWN PURPLE」までのユーミン(松任谷〈荒井〉由実)の20枚のアルバムに収録された楽曲を「読み解き」、ユーミンの曲とともに変わっていった女性たちの変遷を分析している。「ユーミンの罪」という、少々きついタイトルになっているのは、現代の女性の非婚化や、それに伴う少子化にユーミンの曲が少なからず影響を与えたのではないか、という著者の思いがあるからだろう。だからといって、著者はユーミンが嫌いなわけではない。むしろ好きで好きでしょうがなく、その曲の世界観にどっぷり浸かっていたからこその恨み節とも映る。著者は30代以上の未婚・子ナシの女性を「負け犬」と称した「負け犬の遠吠え」がベストセラーになった酒井順子さんである。

 私(1965年生まれ。酒井さんと同世代)がユーミンを聴き始めたのは福岡の予備校に通っていた浪人時代。なんとなくユーミンの代名詞は「天才少女」だと思っていて、なぜそう思ったのか判然としなかったのが、この本を読んでみてやっとわかった。名曲「ひこうき雲」はユーミンが高校生の終わりごろに書いたという。宮崎駿監督の引退作「風立ちぬ」の主題歌だったので、最近耳にした方も多いと思うが、歌詞をよく読めば、これは「死」を扱った歌なのだ。女子高生だったユーミンがとらえた「死」。なんて早熟な女の子だったのだろう。ユーミンの曲には「死」をあつかったものがほかにも何曲かある。

 そんな同世代からは1歩も2歩も先を歩いていたユーミン。結婚前の最後のアルバム「14番目の月」の中には「中央フリーウェイ」が入っている。中央フリーウェイ(中央高速)から見えるビール工場や競馬場の殺風景な風景も、ユーミンが歌うとなんとお洒落なことか。当時、八王子の実家(老舗の呉服屋)に住んでいたユーミンを夫となる松任谷正隆さんが送っていった時の歌だろう。著者はこの曲の中にある「助手席感」をユーミンの曲の特徴の一つだととらえている。

 1984年の「NOSIDE」は私の浪人時代にリアルタイムに発売されたアルバムで、今でも印象深い。タイトル曲の「ノーサイド」は、ラグビーを題材にとった名曲だ。彼は最後のゴールキックを外し、おそらくチームは負けたのだろう。そして、これは彼の引退試合だったのではないか。そんな彼を観客席から見ている主人公の彼女。男を見ている女というのも、ユーミンの曲にはよく出てくる場面だと著者はいう。

 私は男の立場でこの曲を聴いていたので、著者とは少し感じ方が違うところがあるが、浪人している自分を彼に重ねて、陶酔していたのを思い出す。ユーミンのファンに男性も少なくないのは、こんなところにあるのかもしれない。

 1985年の「DA・DI・DA」を著者は女の軍歌アルバムと書いている。「メトロポリスの片隅で」の中で、恋人と別れたばかりの女性は、涙ぐむ間もなく、通勤電車で都心に向かう。男に未練を持たない潔い独身女性の応援歌。このアルバムが発売された1985年というのは、男女雇用機会均等法が制定された年で、著者は、このあたりに「負け犬」の源流があるのではないかと思っている。ユーミンは無意識だったのかもしれないが、時代を切り取る感覚が並外れて鋭敏な人なのだろう。

 著者はバブルが崩壊した1991年に会社を辞め、同時にユーミンのアルバムをあまり追わなくなったという。「ユーミンの歌というのは『所属している女』のための歌だということ。それは恋人であれ家族であれ学校であれ会社であれ、何らかの集団に所属し、守られている女性が聴くべき歌」なのだと、その時気がついたという。

 私がユーミンのアルバムから離れていったのは、もう少し早くて、1986年の「ALARM a la mode」から。2年の浪人の末、大学に入学した私は、バブルとともにさらに大きく変わっていく女の子たちを横目で見ていた。著者はバブルの時代を「楽しかった」と書いていて、これが大方の感想なのだろうけど、私は大きな違和感を感じていた。著者は、なぜ今独身の自分がここにいるのか、の答えを求める旅の過程で、この本を書いたのではないだろうか。私もこの本を読んで、私なりの独身の理由が少し見えた気がする。

 バブルの頃、ユーミンのアルバムは200万枚も売れるようになり、コンビニのレジの脇に置かれて売られていた光景を思い出す。時代を先取りするユーミンのアルバムは、女の子たちに対する違和感とともに、私からも離れていった。