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50歳。そう遠くない死と目の前の命の愛おしさ

黄色いマンション 黒い猫 小泉 今日子 著

黄色いマンション 黒い猫の写真スイッチ・パブリッシング 1600円(税別)

エッセイの名手というひとたちが何人かいるが、独身の人が書いたものの方が面白くて鋭い、というのが私の実感である。ある女性漫画家のエッセイが、結婚して子供が生まれた途端につまらなくなったのを見て、そう思ったことがある。やはり興味と関心が夫と子供という目の前のことだけに集中してしまうためだろうか。同じように子育てをしていて、そういった人の文章を読むほうが有意義だと感じる方もいるだろうから、これはあくまで私の独断と偏見である。

小泉今日子さんのエッセイがいい、文章がうまい、面白い、という話は前から聞いていて、今回初めて読むことができた。小泉さんも今は独身である。思うに、一人の時間が長いと、自分に向き合う時間も長くて、より研ぎ澄まされた感性と、文章が生まれてくるのではないか、と思う。団体旅行では見えなかった景色が、一人旅では心の目が研ぎ澄まされて、見えるようになるように。

数ページほどの短いエッセイが34編。子どもの頃から50歳に至る現在までのことが書かれている。本書のタイトルにもなっている「黄色いマンション 黒い猫」に始まり、最後の「逃避行、そして半世紀」も猫の話で終わる。小泉さんは猫好きで、猫の話はほかにも随所に出てくる。「あの子の話」はちょっと変わった書き方をしていて、一人がたりのようだ。最初は主語がだれかわからず戸惑うが、猫への愛情がものすごく伝わってくる。もちろん、猫の話だけではない。同僚のアイドルの死について書いた「彼女はどうだったんだろう?」など、「ああ、あの人のことか…」と思い当たり、胸が苦しくなる。

小泉さんのエッセイは、死というものがどこかで意識されている気がする。生と死は表裏一体のもので、生を書くことは死を書くことでもある。

猫という存在が愛おしいのは、当たり前だけど、それが命そのものだからだと思う。小泉さんが書いているように、猫は人間の3倍の速さで歳を取る。いつの間にか、自分の年齢を追い越してゆく。子どもの頃から猫に接していれば、死に敏感にならざるをえなくなる。自分自身が50歳を迎え、そう遠くない将来に迎える死を意識し始めた頃だからこそ、また目の前の命の愛おしさが実感できる。

私も独身で、5匹の猫たちと暮らしている。そして、今までにいくつかの愛おしい存在とお別れをしてきた。私は小泉さんより1歳年上で、もちろん、デビューしたころからテレビで見ていた。まさに同時代を生きてきたわけだが、同世代であっても、当時のアイドルというのは、星のような存在、つまり「スター」で、遠く手の届かないところで輝いているものだった。その点、今のアイドルとは随分違う。

10代のころ、小泉さんが原宿によく遊びに来ていたという話は知っていた。そのころ、私は九州の田舎の高校に自転車で通っていた。同じ青春でも、違うものだなぁ、と思っていた。

だから、小泉今日子という存在は、やはり遠かった。しかし、この本からは、同じ時代を生きる同じ人間としての小泉今日子が感じられた。