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- カテゴリ: 本よみ松よみ堂バックナンバー
- 2016年12月11日(日曜)09:00に公開
- 作者: 奥森 広治
戦争に翻弄された三人の少女の運命
世界の果てのこどもたち 中脇 初枝 著
戦時中の満州で三人の少女が出会う。
昭和18年9月に、珠子(たまこ)は、高知県の貧しい農村から両親と妹光子の4人で満州の開拓団の村にやってきた。朝鮮人の美子(ミジヤ)も日本に併合された朝鮮から満州の同じ村に両親とともにやってきた。二人は国民学校の1年生で、じきに仲良くなっていった。ある夏の日、横浜の裕福な貿易商の娘・茉莉(まり)が、父親に連れられて開拓団の村を見学に来た。茉莉も1年生だった。三人は村から離れたお寺を見に行くが、急な豪雨に見舞われ、不安な一夜を過ごすことになってしまう。美子が食べ残していた、たった1つのおにぎりを三人は分け合って食べた。美子は一番大きなかたまりを茉莉に渡し、次に大きなかたまりを珠子に渡し、美子自身は一番小さなかたまりを食べた。自分も空腹なはずなのに、なぜ美子はそんなことができるのか、と珠子は思った。この小さなエピソードがこの物語では後に大きな意味を持ってくる。
ソ連軍の侵攻と、引き揚げの混乱。横浜の大空襲。在日朝鮮人への差別。満州での平和なひと時が夢だったかのように、日本の敗戦を機に少女たちは過酷な運命を辿ってゆく。
見てきたように書く、というのはこういうことなのか。著者は1974年生まれと、まだ若いのだが、時に読むのがつらくなるほど、実にリアルに描かれていて引き込まれた。おそらく、多くの文献を読みあさり、苦心して書かれたものだと思う。
特に第二次大戦以降の戦争では前線の兵士だけでなく、多くの市民が犠牲になるようになった。そのしわ寄せは、女性や子どもなど、より弱い立場の人たちに悲惨な形でふりかかる。
珠子や茉莉、そして美子は、人のおぞましい姿や悪意を目の当たりにする。しかし、自分の心の中にも、そのおぞましい部分が隠されていたことに気づき、ハッとする。それは、幼い少女の目という視点から描かれるからこそ、くっきりと浮き立って見えるものなのかも知れない。
1980年代。中国残留孤児が日本で肉親探しを行い、メディアも大きく取り上げた。日本語を忘れ、通訳なしでは言葉も通じないが、肉親だと判明して、涙ながらに抱き合う姿に涙した方も多いと思う。私がその時驚いたのは、愛情を込めて孤児たちを育ててくれた中国人養父母の存在だった。日本人のことを憎んでいたはずなのに。
満州からの引き揚げ者は、逃げる途中で略奪や暴行に遭う。酷いことをする中国人がいる一方で、手を差し伸べてくれる中国人もいる。
三人の少女には救いがある。それは、三人とも両親やきょうだいに慈(いつく)しまれ、愛されて育ったということだ。過酷な運命の中でも、愛されたという記憶は人を強くする。
この物語は、中国、朝鮮、日本という東アジアが舞台だが、タイトルの『世界の果てのこどもたち』には、今も世界のどこかで続く戦火の下で生きる子どもたちへの想いが込められているように感じる。