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- カテゴリ: 第773号(2014年1月26日発行)
- 2014年1月26日(日曜)09:00に公開
- 作者: 戸田 照明
2014年 午年
市内“馬”スポット
小金牧
その昔、松戸地域には広大な野馬の放牧場が広がっていた。小金牧とか、小金野、四十里野などと呼ばれたこの放牧地は野田市、流山市、柏市、松戸市、鎌ヶ谷市、習志野市、船橋市に及ぶ広大な原野で、五香六実のあたりがその真ん中だった。
この野馬放牧場の歴史は大変に古く、平安時代には官営の牧があり、軍馬を育成していたという。
中世の源平の合戦の頃。源義経と木曽義仲が京都の宇治川を挟んで戦った宇治川の合戦で、源氏方の佐々木高綱と梶原景季が先陣争いをするが、両者が乗っていた生月(いけづき)、摺(する)という馬は頼朝からの拝領馬で、ともに小金牧産だと伝えられている。
江戸時代になると、馬の知識に優れていた徳川家康が、古代から続いてきた牧を引き続き野馬の放牧場として認め、整備した。小金牧には6つの牧があり、松戸市と鎌ヶ谷市のあたりは中野牧と呼ばれていた。
野馬除土手
野馬放牧場の名残を残す囲い土手。高さは3mほどもある立派な土手で、昔は総延長が150kmもあったという。宅地開発などでそのほとんどが失われ、五香六実ではオウル五香の裏手に、駐車場に沿うようにして残っている。
古代から江戸時代まで続いた小金牧では、牧に隣接した村の農民が維持補強を繰り返し行い立派な土手になっていった。
野馬の逃亡を防ぐとともに、外部の野犬などから野馬を守り、野馬や鹿、猪などを牧内に封じ込めることで、農産物を食害から守る役割もあった。
※参考文献=「松戸の歴史案内」(松下邦夫)、「五香六実の高お神社と村の今昔」(山口武三)